人生で一番幸せな日 〜息子誕生その2 〜

日が変わって1月11日土曜日。奥さんが夜中2時頃にお腹の痛みで目が覚めたようで、それから1時間ほど断続的に陣痛のような強い痛みに襲われていた。病院に連絡すべきかどうか迷ったけど、結局、一旦収まりそのまま寝ることが出来たみたい。僕も奥さんも、翌朝10時までぐっすり眠ることが出来た。どうやらあれは、前駆陣痛だったようだ。

ただ、朝目が覚めてからすぐにまた痛みが始まったようで、この時点で流石に陣痛と判断。急いで病院へ連絡し、緊急外来で診てもらうことになった。

診察の結果、子宮口の開き具合は昨日とほぼ変わらず。ただ、痛みの間隔が10分に1回と短くなってきていたので、分娩が始まっていると判断された。

3時間ほど、病院に居させてもらったかな。そのまま入院してもいいとのことだったが、奥さんが家の方が落ち着くと言うので、一旦家に帰ることにした。

とりあえずお昼ご飯。奥さんの要望で、マックをデリバリーで注文。

奥さんは結局、ほとんど食べなかったけど…

ひたすら陣痛と戦う奥さん。この時点で、2、3分に一度1分程度の陣痛が来続けていた。

病院へ行くタイミングが難しかったけど、痛みがより酷くなる前に、自分で歩けるうちに入院してしまうことにした。21時半頃だったかな、入院セットを持って病院へ向かった。車があって、本当に助かったよ。

すぐに診察。子宮口の開き具合は、昼間と変わらず。ここから長い戦いが始まる。

ずっと苦しそうにしている奥さん。僕は、手を握ったり、頭を撫でてあげる事しかできなかった。

分娩監視装置が取り付けられ、基本的に遠隔でデータを監視するスタンスらしい。助産師さんは2、3時間に一度、部屋に様子を見に来る感じだった。これ、奥さん一人だったら相当辛かったろうな…。世の旦那さんは、陣痛が始まってからの分娩中は、出来るだけずっと側にいてあげてほしいなと思う。

日付が変わり、夜が深くなるに連れ痛みも増し陣痛の間隔も短くなって来たけど、なかなか子宮口が開いてくれず…。内診の度に、子宮口の開き具合があまり変わっていないと伝えられ、これ、いつまで続くんだろうと僕が不安になってしまったよ。

それでも、3時半頃には子宮口が7センチ程になり、いよいよ胸突八丁。…かと思われたが、ここからの進みがまた遅くて…。このあたりから、いきみのがしのために、陣痛のタイミングでお尻にテニスボールを当て続けるというフォローが始まった。この時点では、テニスボールを当てる必要性をあまり感じていなかったみたいだけど。

段々とさらに痛みが増してきたようで、5時半頃にはもう、テニスボールでしっかり抑えてあげないと、いきみを逃し切れないくらいになっていた。ただ、子宮口の開き具合はであまり変わらず。こんなに辛そうなのにまだなのか…と、奥さんが凄く可愛そうに思えて仕方がなかった。夜が明けてきた。まぁ予想はしてたけど、まさか本当にこんなに時間が掛かるとは…。でも、助産師さんに、7時頃から分娩室に移ることになりそうと言われ、少し光が差してきた。あとちょっとだ、頑張ろう。

正確な時間は覚えていないけど、7時頃に子宮口が9センチに。全開まで本当にもうあと少し。結局、7時半頃に分娩室に移ることになった。あぁ、遂にもう佳境なんだなぁと、嬉しさと怖さとで複雑な気持ちになっていた。

分娩台に乗せられる奥さん。間もなくして、子宮口が全開に。そして、自然に破水。陣痛が来たタイミングで、思いっ切りいきむよう指示が入る。奥さんが股を閉じないよう、僕は右脚を、サブの助産師さんが左脚を力一杯抑える。奥さんは、ビックリするくらい聴いたことの無い声で、大きな唸り声を上げる。遂に、遂に来る…!!頑張れ、もう一息だ、頑張れ!!と思っているうちに、嗚咽とともに涙が溢れてきた。だって、ほぼ素っ裸でスッピンで、お風呂にも入っていなくて、寝てなくて体力も限界の満身創痍な状態で、その上恥ずかしい格好までさせられて…。それを一切隠そうとすることもなく、ありのままの姿を見せ付けてくれている。その姿勢にとても愛を感じたし、僕の奥さんに対する愛もより一層深くなった。そんな姿を見せられたら、誰だって泣いてしまうよ。いよいよ赤ちゃんが出てくるという感激よりも、奥さんのその姿に心を打たれて泣いてしまった。僕の嗚咽に気付いて、一瞬目があって、「よし、頑張るぞ!」というスイッチを入れた(と、思われる)あの瞬間、凄く胸を打たれた。あの瞬間は、ずっと忘れないよ。

そして、遂に…
8時頃に、赤ちゃんの頭が出てきた。頭が出れば、後はこっちのもの。それからの展開はとても早く、助産師さんの補助により、ツルンと出てきた。

令和2年1月12日8時3分、2752g 48cmで、元気な男の子が誕生しました。

青黒くてしわくちゃで、エイリアンみたいだな…というのが第一印象。少し気味の悪さも感じられた。口にストローみたいなものがあてがわれて羊水が吸われた後、ようやく我が子が産声をあげる。思ったよりも小さな声で、泣く時間も短かったな。感動の瞬間だった。僕はこの瞬間、世界中の誰よりも一番幸せだったと思う。幸福ホルモンが、体中から分泌されているのを直に感じられる程に。

分娩室で暫く撮影タイムを貰ったので、この間買ったビデオカメラと、僕のpixel4とGR2で沢山動画や写真を撮った。携帯変えておいて良かった〜。あと、GR2はやっぱり最高のカメラだ。息子が産まれるまえに、いいカメラに出会えてよかったぜ。

それぞれの両親にも、直ぐに連絡。そうそう、予定日よりも3週間も早く産まれることになったんだけど、前の日に陣痛が始まったと連絡したらビックリしてて。昨日の今日でいきなり孫が出来て、心の準備も出来ていなかったろうな。まぁ、それは僕らもだけど。幸い3連休の初日だったので、みんなお休みだったみたい。8時過ぎに産まれたと電話で報告したら、これからすぐに行くと言い、お義父さんが僕の両親を車で迎えに行ってくれて、10時半頃にはみんな到着してたっけ。

僕らが病室に移動したのが10時頃だっので、タイミング的に丁度良かった。産まれたてホヤホヤの状態で、それぞれの両親に孫を会わせることが出来て本当に嬉しかった。ツイてるな。お腹の赤ちゃんに、半ば冗談で「連休中に産まれるんどぞ〜」と奥さんと二人して声を掛けていたから、赤ちゃんもそれに応えてくれたんだろうな。だとしたら、本当に良い子だなこの子は。

待望の初孫を抱っこ出来て、ご満悦な僕の父。数年前に癌になり、現在も抗癌剤で闘病中。生きている内に孫を見せられて、本当に本当に良かった。奥さんに、心から感謝だな。最高の親孝行が出来て、もう思い残すことはないかも。笑

イケメンが産まれてはしゃいでた僕の母。

お義母さん。退院後は奥さんの実家に1ヶ月ほど預けることになるので、今回は僕の両親に抱っこをずっと譲ってくれていた。


多分同じ理由でか、お義父さんに関してはこの日一切抱っこをしなかった。次の日の面会でも、実家にいる今も、デレデレでめちゃめちゃ抱っこしてくれてるけどね。笑 我慢してくれていたと思うと、何だか申し訳ないな。

午後になり、奥さんに病院食が出る時間に。僕らも、みんなで駅前にご飯を食べに行った。両親が顔を合わせるのは、4年振りだったかな。軽くだったけど、こうして家族全員で幸せを共有出来てよかったよ。

その後病院に戻ったんだけど、奥さんも僕も一睡もしておらず。だから、この日はそのまま面会は終了することにした。両親をまたお義父さんに送ってもらうのは悪かったので、一度僕んちに連れてきて、ご飯を作ったりしてもらうことにした。その間に、僕は仮眠を取らせてもらうことに。

16時に目覚ましをセットしていたのだが、気付かず、17時頃に目が冷めた。早く起きられたら早目に送って、もう一度面会しに行けたらなぁなんて思っていたんどけど。でも結局、奥さんも、今日はもう疲れたからということで、赤ちゃんをスタッフさんに預けて休息を取ることにしたらしい。それなので、僕は両親と夜ご飯を食べに行ってきた。

父も母も、本当に心から喜んでいる様子。父にとっては、とてもいい薬になってくれるはず。春になったら、息子を連れて一緒に桜を見に行く約束をしている。これからこういうイベントを沢山作って、長生きする原動力にしてくれればいいな。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加